三月十九日

 

今さっきホテルの一階横にあるKAFEにきたところ。

今朝は八時半に起き、ホテルの地下でバイキングの形式の朝食をとった。どこでも食べられるゆで卵がその時は一番美味しく感じられた。今日の気温は二十八度位だろうか。歩くとTシャツべったりと汗をかき、風通しの良い所だと快適に過ごすことができるくらいだ。

 

朝食の後、電車で文化中心から五駅の駅まで行きそこから一時間半程歩いた。澄清湖へ行ってみた。普段歩いてなっかた僕はとても疲れてしまった。台北と高雄では大きな違いはないように思った。だがほんの少しだけ違う。それはお店で出されたお冷やがほんのりレモンの味がするかしないか位の差だと思った。違和感ではなく、晴れ時々曇りのような曖昧な違いを感じられそうだ。

 

澄清湖はと言うと池付きの大きな公園といったとこだろう。園内は家族連れ、おばさん達のウォーキングの集いやピクニックだったりととても多くの事が行われていた。この公園のメインはきっと九曲橋と呼ばれるカクカクしている橋なのではないだろうか九曲橋は縁起の良いものとされており悪いものはその橋を渡れないとされている。距離にして百メートルといったところだろう。橋を渡り終える頃、二匹の燕が飛んできた。

 

帰りは行き当たりばったりのバスに乗り知らないところで降りた。案の定ホテルへ着くのは夜になってしまった。その時知らない土地、知らない人、知らない街を歩いてることが怖くなった。このまま帰れなくなってしまったらどうしようと。

3月18日

 

昼間の飛行機で出発をした。三人の友人達がわざわざ見送りに来てくれた。

今は機内にいる。あのあと三人はどんな話しをしながら帰ったのだろうかと窓の外をのぞきながら考えていた。その時ちょうど白い富士山が見えた。真っ白な富士山をみたことがなかった僕はその驚きを後ろの席の同級生に教えた。寝ていた彼は「そうだね」と目を閉じたまま相槌を打ちそれ以上なにも返してはこなかった。白い雲、白い山、全てが白く柔らかそうで少し悲しさを感じさせる。グレーよりも冷たい白、雪が少し汚れてるように感じた。

 

これから台湾に向かう。夕ご飯には何を食べれるのだろうかショウロンポウ?

 

高雄に着いた日はすでに夕方だった。夜ご飯には真空菜の炒めと、肉飯、鶏軟骨のスープを食べた。店は台湾特有の通路のような所で簡易なテーブルとイスとが「お前、座れよ」と言わんばかりに沢山並んで見えた。現地のおばちゃんが片言の日本語で接客してくれた。まだ空腹だった僕はホテルのロビーで教えてもらったお粥屋へ行った。海鮮ミックスのようなラーメンを食べた。

明日は高雄市街を散策、天気は雨になるかも知れない。湖と公園を見てみよう。

オーライ

ほんのちょっと昔、家の前に大きな田んぼがあったんだ。ちょうど水が張り終えた田植えの少しあと、夜になると蛙の大合唱が始まるんだ。千匹、いや一万匹くらいはいたかもしれない。高校を卒業するまでの夏の毎夜、幾千にも響き渡る声をききながら寝ていた。日焼けした薄いカーテンの隙間から、ぬるい土の匂いとともに湿った空気を扇風機が送ってくる。向こうにはガソリンスタンドの眩しい光があった。かすかに聞こえる「オーライ、オーライ」の声。有線放送も少しだけ聞こえる。なんの歌かは分からない。父親のいびき、母のかけるCDの音。
 
 少しずつの声や聞こえない音楽、微かな光とゆらめく風が、僕をゆっくりと深い布団の中へ沈めていっていた。それはいつの日も変わらない。田んぼがなくなったのは地震のあと一年後くらいだったと記憶してる。

夢の実現

年初め、今年は引っ越し先、近所の神社へ初詣へいった。三十分程並び本殿へ一年の挨拶をした。参道の途中に小学生が書いた書道が飾ってあった。一メーター程の細長い書道紙に、希望の朝、緑の大地、世界平和などが書かれており学童各々の個性が見られる面白い展示があった。ちょうど待ち時間にでも見てくださいと言わんばかりに何百もの書道が陳列されており一人一人の名前に時代の流行りや彼らの親が何を考えているかが出ていた。割合紙に太くめいいっぱい書いてあるものが賞をもらってるようにも感じた。だがそれよりも一際目をひいたのは紙の半分が白紙のものだった。上方寄りにつめつめの状態で「夢の実現」盛大に笑った。前の人も笑っていた。笑いすぎて滲み出る涙をハンカチで拭いていた。初笑いとうところだろう、縁起のいい笑いを神様が与えてくれたんだと思った。

 

「よい一年が始まりますように。」
 

足りない思い出

先日明治神宮前駅に向かうために新宿三丁目駅に向かいました。改札を通りホームの奥に進むために歩いていたら60歳ちょっと過ぎたくらいの女性に呼び止められました。見た目も可愛らしく、お上品なん感じがしました。育ちは悪くなさそうだし、話し方も綺麗な喋り方でした。嫌な感じもまったくしなし一般的なそれよりは割りかしお上品方のおばさんってところでした。迷ってるのかなと思いました。ですけど話を聞くとどうやら神奈川の自宅に帰るお金がないと。まさかとは思いましたけどお金をかりたいと。見ず知らずのおばさんにお金を貸して欲しいと言われ思わず、笑ってしまいました。何を言ってるんだかそんな単刀直入に言われても困るほどの勢いで思いましたお金を貸して欲しいと言われました。けど貸すって言ったてもう会えないし返してもらえるわけがないのに貸すって一体何をどうしてこんなことを言っているんだろうと。笑ってしまったその後、「皆んなに笑われるのよ。分かってるわ」と言われました。周りには仕事帰りのサラリーマンや女子大生っぽい子やら老若男女。まさかここにいる人の多数に聞いているのかと思うとややこわくなりました。


それで貸さないつもりでいくら借りたいのかききました。「百円かしら、いや千円あったらいいわ」と言われました。流石に千円を見ず知らずの人に貸すわけにはいかないので千円は貸せないと言いました。千円も貸せないのにほかに貸せるお金があるのかと聞かれればどうしようもないんですが千円は絶対に嫌でした。ポケットの中に手を突っ込んで探してみると五百円玉が一枚入っていました。


悔しくてため息が出ました。大抵は五百円なら嬉しいはずなのに、その時は百円なら良かったなと思いました。「ちぇっ」百円かよじゃなくて「げっ」五百円かよ。という感じでした。


仕方なく五百円を貸すことにしました。人差し指と親指で差し出した五百円玉はいつもより重く、いつもより輝いてみえました。


 

蛇と牛

蛇が出てくる夢をみた。それは何回めだろうか。黒く長い巨大な大蛇がそこら中にいて部屋の中にもいてのたうち回っていた。怖いはずなのにみんななんだか笑いながらその蛇を捕まえようとしていた。
 
 
その時はバスの後部座席に乗っていた左側の窓側の席だったと思う。窓からのぞめる風景は赤く夕焼けに染まっていた。小さい子を背をってこちらに手を振る母子がいた。後ろからバイクと共に牛が走ってきていた。そして踏切の前でとまった。牛と持ち主とをつなぐ紐が一本の電柱にからまってバイクは先に行くが牛はそこから動けずにいた。そこに電車がきてしまった。咄嗟に手に持っていた本で顔を覆ったが額に生温かい血を浴びた。
 

早い春、熟れた実


ひと足先にと桜の開花が早い今年はいったい何が起きるのだろうか。こんなに早い世の中なのに季節の巡りも忙しいとなると私だけ置いてきぼりになってしまいそうだ。と書いた冒頭に東京の空からは既にピンクの色はちってしまった。


わかっているのに分からないふりを、知っているのに知らないふりを得たことにたいする負荷。自分で嵌めた足枷のように。そういうことばかり気にってしまうお年頃なのか。それともそれはわたしの性分か。知ってしまったことを何気なく聞いてしまうのは悪いところ。しれっと相手の飲み物に、食べ物に少量の毒をいれるみたいに。けどそうゆうことしている自分が一番毒されていくきがして逆に殺されてる気がする。知らないことがいい時もあるけれど知らないのはずるいから。大人ならきっと時間をかければ分かる時がくるはず。



野郎翫びは散りける花の下に眠る狼のごとし