失恋

 

相手が何を考えているか。それは察してはいけないのだと思う。相手を理解していることと、理解しようとすることは大きく違う。理解しているということはその人物にたいして納得しているかである。自分が相手に対してなにを分かっていて、なにを知っているかの範囲で自分自身の行動が生まれる。寛大な許容、抱擁とともに相手を把握して彼らを支配した気分になることも可能だ。あくまで自己満の範囲内でその範囲を広げていくことはできうる。それができなければ相手を理解していくことをプラスに考える必要はない。あくまで「理解する」ということに焦点を当てればの話だが。君がどんなにその相手を分かろうとしても余裕を持ち合わせていないとそのものを理解することに対しての距離は遠いのではないかと思う。余裕が理解への近道になりうるのか。

反して理解しようとすると相手の細部に視点がいってしまう。相手の癖、行動、言葉、細いモノをあつめて大きな全体像を掴みまたそれらを崩して理解しようとするだろう。その再度組み上げた像は君の理解したい形にしかなっておらずその相手が持つストレートな像を失うことになるだろう。

 

 

弐編

 

自分の思っている所より遠くへ行ってしまうということ。別れの挨拶なんていうものは無くて気づいた時にはすでに手遅れで冷たい風にふかれてだた寂しさが残るだけ。自分が上手くしてると言うのは大間違い。君は大外れ。

 

彼らの信頼か、優しさ、甘やかしか。それは卑怯であり、恐ろしく怖いもの、自分が安定の上に綱を渡ることはできない。なにかのリスクは必ずついてくる。だが君はまだそれを知らない。知りたくないのか分からないのかは別として。君は君の接触する相手の許容の範囲内で立ち位置を確立してるのである。油断対敵、君は演じる側でありながらも演じさせられているのかもしれない、と言うことを忘れてはいけない。

ただ不器用なだけなのかもしれないが。

 

世間は好きな相手にフラれることを失恋と言うが「自分の恋ごころを相手に対して失ってしまう」その方が失恋ではあるまいか。気持ちがどんどん引潮のように薄れていく。常夏の海のように輝いてみえていたの君の瞳は冬の日本海のように薄暗くなってしまった。その笑顔は何も語りかけてこくなった。冷えたスープ、もしくは折れた枝のように繋がる先をなかなか見出せなくなる。

 

別に僕自身が失恋をしたわけではない。