サインはどこへ

雨が降れば傘をさすし、火事になれば水をかけるし、喉が乾けば飲み物を飲むし、いらなくなったら捨てるし、寒ければ着こむ。

 

そんなふうに何かある一定の状況で反射的に対応できるものが僕らにもあればいいなと思う。一人で考えすぎず頼りたい時に頼れる人を、泣きたい時にあたたかい胸をかしてあげられる人に。困った時に頼れる人間が君の周りには何人いるだろうか。生かし生かされる人間になりたいと。

 

何かと僕らは結果だけに頼ってしまっている。それは当たり前のことだし目に見えてはっきりとわかるのもそうだろう。だからこそ少しの違和感を大切にしたい。例えその違和感がその時点では苛つくことであったり君を怒らせてしまうことだったとしても。相手にとっては赤信号が出始めのサインかもしれないから無下に扱ってはいけない。何事にも小さなサインが隠れている。大切にしている相手ほどそうい合図が明確にあって気づいてあげられるといいなと思う。

 

いい知らせ、よくない知らせと言うのは同時にくるのか。いいことだけがある日なんてないのかもしれない。悪い知らせがくればいい知らせがくるし、逆もそうだろう。

 

寒いとみんな荒んでしまうのか、夏の日の無邪気な開放感とは別に、特別なあたたかさを求めている気がする。

 

 人生にやり直しができるタイミングがあればそれはどこにあるのだろうか。何もかも捨てて新しい私で新し土地で新しい時間で僕らは生まれ変わることができるのだろうか。積み重ねてきた全てのことに疲れてしまったのだろうか。そういう意味では疲れたことがない分類にはいるだろう。