糸握り

長い夢を見るとこはあるか。

 

僕らは毎晩たくさんの夢をみるがその数に対して覚えていられる夢の数は極端にすくない。夢はその日あったことを整理しているという。実際にその日のことが夢に出てくることがあるだろう。無意識のうちに僕らは辻褄を合わせようとしているのだ。

 

だか例えばその日のことを夢にみなかったとしたら。訪れたこともない土地に知らない人々。見たことのないような建物や空間。知らない歌に初めてみる景色。まるで冒険でもしているかのようだ。まるで目覚めている現実が夢で眠っている夢が現実かのように。その夢に浸かってしまって現実と混同してしまうことがある。話したと思ったことを相手が覚えていなかったり、あったはずの人にあっていなかったり。長い夢を見た日には日記をつけている。そうじゃないと現実と夢とが混じり合ってしまいそうだから。

 


何度かそういう体験をしたことがある。たまに行くバーでその日も飲んでいた。そのバーはいつもオレンジの薄暗いランプで照らされていてしっかりと相手の顔を見れない。輪郭がぼやけてしまい記憶もぼやけてしまうんじゃないかというほど薄暗いところだ。

 

いつものメンバーで変わらない雰囲気のお店。隣にはいつもの友人。そろそろ帰ろうかなと思った時だった。ふと友人の袖が目にはいった。大きく口のあいた青い花がらの袖だ。毎年夏になると着ているなとその時も思った。なんだか眠くて目をつむり大きく深呼吸した。目を開けるといままで右側にいた僕の友人Kは左側にいてさっきまで着ていた青い花がらの袖の服は黄色の服にかわっていた。

 

思わず僕は「いつ着替えたんだ」と聞いてしまった。そしたらKは「今日はずっとこの服だし、さっきからこの服だ」と返答した。

さっきまでいたもう一人の友人Aもいなくなってしまっていた。「Aはどこいったんだ」ときいたら「今日は来てないよ」と言われた。「今日は来てないよ」今日はとは疑問だった。いやさっきまで一緒にいたはずのAが今日は来ていない。

 

あまりに酷似し過ぎた夢と現実が重なってしまったのだ。記憶に頼り現実を追ってしまったのだ。頼るものを間違えるとその行き先は不安になってしまう。あやふやなものが崩れることに慣れている僕らにとって頑固たる現実が崩れることは許されない。

 

手に握る風船の立場がまるでひっくり返ったようであった。僕は細い糸につながれた宙にうくもので、その糸を握るのは風船なのだから何処かへ飛んでいってしまうところだったに違いない。