病にて根の行く先


病院に行く機会、特に大きな病院に行くことはとても少なく亡くなった祖父が入院していた時に行ったきりそれから訪れた記憶がない。大型病院は少なくともその時以来いってないだろう。胃腸が弱い僕は消化器系の小さな病院へ行くことくらいしかない。ましてや入院だなんた大袈裟な病気にかかったこともない。だから病院とは治療よりも死への扉のようなものに感じてしまう。少なくともそう思っている人の方が多いのではないだろうか。映画やドラマでも死へのシンボルとして位置付けされていることの方が多いのも確かだろう。健康ではないことは死への第一歩なのである。


そう改めて思えたのも先日お見舞いに行ったからだである。特にお年寄りの友人がいる訳ではないので同年代の友人だ。友達伝いに彼が入院しているときいて慌てて連絡をとった。自ら「入院しているのでお見舞いに来てください」なんて言うやつはいないから彼からも特に連絡はなかった。「なんで連絡くれないんだよ」と彼に言ってしまったが、よく考えると当たり前に自分の弱いところを見せたいやつがいないように自分の弱みを連絡するやつなんてのもいないのだろう。

 

 

彼は9階の部屋に収容されており大きな窓からは東京タワーに六本木ヒルズを拝むことがでた。彼の一人暮らしのアパートよりもぐんと景色がよく「こここに引っ越しちゃえば」なんて喉元まで出かけたが言うことができなかった。自分でグッと押し殺したのか、遠慮したのか、気を使ったのか。年末から年越しも一人で入院していると教えてくれた彼の目に寂しさが少しだけ見えた気がした。

 


僕は死ぬような病気じゃなくてよかったと伝えた。すると彼は「死ぬようなら連絡するよ」と。そんな八重歯を光らせて言われても悲しいことを言われていることにかわりはないのだから。悲しいいことを明るく、楽しいことを暗く言われてもその根の部分はかわらない。だから隠すことのできない仮面をかぶる必要はないのではないかと僕は思った。

 

入院した彼が気づいたことと言えば「一人暮らしにおいての生活観、年をとると話が長くなること、床から離れているテーブルの良さ、下界の食べ物の美味しさ」なのであった。